Futoshi-Kojima20110319
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1: 名無しさん@実況で競馬板アウト 2021/11/17(水) 10:08:48.35 0

菊花賞の記者会見は、コロナによる取材規制のために、集まった取材者は20名に満たなかった。
ほとんどが関西の記者で、どことなく反応も薄かった。
それも無理はない。優勝したタイトルホルダーは関東馬で、皐月賞こそ2着になったが、ダービー6着、セントライト記念では13着に惨敗していた。

 それでも若きスタージョッキー、横山武史騎手の菊花賞初勝利ということでもうすこし熱を帯びてもいいところだが、横山騎手がブレイクしたこの2年はコロナで記者の往来はほとんどなかった。横山騎手も菊花賞初騎乗だったし、阪神競馬場で勝つのは19年12月28日の新馬戦以来で2勝めである。関西の記者が横山武史という騎手の腕を直に感じたのはこのときが初めてではないだろうか。

 そう書きながら、関東を拠点に取材をしているわたしも同じようなものだった。
横山武史騎手が活躍しだす前、わたしたちはなにをしていたのか。そう、皆で藤田菜七子騎手を追いかけていた。

小島太調教師「それだからマスコミはだめなんだ」


19年の夏。昼に雑誌の取材で藤田菜七子騎手に会ったわたしは、夕刻、べつの取材で元調教師の小島太さんをたずねた。取材が終わり、小島さんに昼の話をすると「それだからマスコミはだめなんだ」と言われた。「関東にはほんとうにうまい若手がいるんだから、ちゃんと取材してやらないとな」

 そのとき、小島さんの口からでた、うまい若手騎手の名前が横山武史だった。

 このときデビュー3年めの横山騎手は、GI初騎乗となったダービーでリオンリオンで逃げて15着だった。重賞は未勝利。それどころかほとんど乗っていない。勝ち数もまだ100勝に到達していなかった。

 エフフォーリアで皐月賞に勝ったあとの横山騎手に会い、そのときの話をすると、

「(小島)太先生は、デビューしたときから、ぼくのことをすごく推してくれているんです」

 と言った。流行を追いかけてしまうわたしたちマスコミとは違い、簡単に人を誉めない小島太さんは、横山武史というルーキーの技術と可能性を見てとっていたのである。

もうひとり、印象的なことばで横山武史騎手を語ったのは、横山騎手が乗るエフフォーリアを破ってダービー馬となったシャフリヤールの藤原英昭調教師だった。
大学時代は馬術の日本代表として活躍した藤原調教師は「馬乗り」に関してはだれよりも厳しく、福永祐一騎手すら「誉められた記憶がない」と言う人だ。
その藤原調教師がダービーの記者会見でこんな話を、自分からしたのだ。

「あいつ(横山武史)は、必ず競馬界を背負ってトップを取る男ですからね。そういう意味では、きょうの勝利は、いろんなことで意味のあるものになりました」

https://news.yahoo.co.jp/articles/6e93a8a382aec5d7ea0506675c815ed7f9ca8009
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